coalamogu

~農家一年生とゆかいな仲間たち~

野を越え、山を越え

吹雪く雪山をさんない方面へぐんぐん進む

なでしこのオーストラリア戦、敗戦のニュースをつながっては途切れるフルセグで視聴していた。

時刻は8時半、われわれ一行は急いでいた。

オセンの開店にである。

おしんではない。オセンである。
スーパーオセンは岩手の湯元に本店と北上に構えるコスパバツグンのローカルスーパー。

はじめてばあちゃんがオセンから戦利品を抱えて誇らしげに帰ったとき、値札をみてたまげた。

安い

たとえば、いわし。
刺身でもいける新鮮ないわし三匹まるまる入って190円。大きなにしん二匹で200円切っている。

湯元温泉街を抜けた山奥にあるが、漁師さんから直接仕入れをしているため、エブリデーロープライスを実現。

自宅を出てから40分。ようやく到着。と、思いきや…何かがおかしい…

まさかの休み…

がくりと肩を落とした一行。
でも、留守番しているばあちゃんをがっかりさせられない。それに私たちはあきらめが悪い。時刻は9時過ぎ。

そうだ、北上へ行こう。

という訳で湯元から高速に乗り、北上へと向かった。暴風注意報が発令されている中 、どんどん激しくなる吹雪にも負けず、一時間。途中、出羽山脈を越えたあたりから天気が穏やかになり、オセンに到着したあたりから、風は強いものの、日が顔を出してきた。そして、到着。

やっぱり北上のオセンは大きいね。
と談笑する私たちだったが、駐車場は空車。肩を落とした。

まさかのお休み…

スーパーオセンは不定休なのだが、本店と北上店の休みが重ならないようにしているらしい。が、今回は奇跡の二店舗同時休み。

一体誰がこんな悪天候の中、遙々ここまで来るだろうと思ったのか。

悪天候の中、県をまたぎ、車を走らせ、高速まで乗り、山脈を越えたバカ3人。
完全にオセンの神様に見放された。

結局、一時間かけて戻り、地元のスーパーで買い物。落胆する私たちをばあちゃんは出迎えた。

「本店が休みだったから、北上も行ったけど、そっちもダメだった」

そう伝えると、ばあちゃんの手が肩にポンポンと添えられた。

まるで、落胆する選手たちを慰める佐々木監督である。

待ってろよ、おしん
じゃなくて、オセン。

言葉の壁

学生時代、一年間トルコはイスタンブールへ留学した。

ヨーロッパとアジアの架け橋となるこの地域は昔から交易の重要な地点として栄えていた。「イスタンブール」と一言でいえども、ヨーロッパとアジア側で二分されており、二つの大陸を一つの都市がまたぐのは世界中どこを探してもここだけ。たくさんの船を行き交うエミノニュ広場からの眺めは今でも懐かしい。

大学での公用語は英語。しかし、実生活となるとトルコ人のほとんどが英語を話せない。トルコ語を話せないと買い物はおろか、食事に移動と生活がままならない。つまりは生活にはトルコ語が絶対条件。エキゾチックで日本とはだいぶかけ離れたイメージを持つかもしれないが、偶然にもトルコ語と日本語の文法はよく似ている。よく韓国語を学ぶ人が文法が似ているから覚えやすいというように、トルコ語は日本人にとってとても分かりやすい言語である。日本でも小学校から始めれば大学卒業までにはネイティブ並みに読み書き、話せることは間違いない。しかし、いくら覚えやすいと言えども、慣れるまではあれこれとつまづいた。ついでに寮のルームメイトはトルコ人3人。人知れず、部屋でトルコ語の勉強に励んだものだった。

そして、12年ぶりに言葉の壁が大きく、私の前に立ちはだかった。

 

秋田弁である。

 

一般的に東北地方は寒さのせいではボソボソと話すことが俗説とされている。しかし一説によると、どうやらそうではなさそうだ。東北地方は典型的な農村型社会。つまり、小さなコミュニティでいつも決まった相手としか話さないためはっきりと話す必要が無く、短い言葉で相手に伝わる。これにより、その地域独自に言葉の合理化が進んだとのこと。要するに、ツーと言えばカーと返ってくるような社会なのである。

あまりはっきりと話さない上、局地的に進んだ合理化により言葉一つ一つが短い。

たとえば、「け」

「け」「食べて」

「け」「かゆい」

「け」「おいで」

ついで、「ね」

「ね」「無い」

「ねね」「無いね」

「ねれ」「寝なさい」

「ねれね」「眠れない」

どの意味を持つかは音だけでは判断しにくいため、文脈から汲み取るしかないのだ。

しっかりとリスニングし、身振り手振りを交える。コミュニケーションの基本。秋田弁に精通しているネイティブが4人ルームメイトが心強い味方。そして、幸いにも、標準語ネイティブの私にとって秋田弁は文法が似ているので、語彙だけ増やしていければなんとかなりそうだ。

水の恩恵

秋田の水はお財布にも優しい。


旅行会社で働いていたころ、海外のホテルで洗った髪がごわごわしてまとまらないことがよくあった。

たとえばフランス。フランスの水道水は石灰が多く含まれているため、髪を洗うことや、洗濯、飲食にはあまり向かないらしい。だからフランス人は週に2~3回しか髪を洗わないそうだ。理由としては硬度の高い水だと石鹸カスが残りやすい。人間の肌が弱酸性に対してアルカリ性だからなどがあげられるそうだが、諸説はさておき、いつも日本に帰ってきてはやっぱり日本の水は良いなと実感していた。

 

水道数の質の良さで有名な日本だが、某のど飴の宣伝にもあるように、日本の中でも秋田は「水の国」。多くの名水百選が存在する。

今住んでいる場所は、山脈と丘陵に囲まれた盆地のため、山から伝ってきた豊かでおいしい名水を蛇口をひねるだけで味わうことができる。洗い物はもちろん、洗濯、洗顔、お風呂、歯磨き、すべてこの「名水」を使ったなんとも贅沢な生活を送っている。


ある日のこと。

毎日使っていたヘアオイルが切れてその日は使わずに就寝。シャンプーのCMではないが、今までのカラーリング、パーマ。それに、ストレスの多い生活がたたった私の毛先は枝毛だらけ。湿気の多い梅雨の時期などはアフロのごとく広がりを見せていた。ところがどっこい、翌朝、髪を触ってみるとあたかもオイルを使っていたようなまとまり。度胆を抜かれた。その一瞬でヘアオイルは用無しとなった。

東京の美容院に通っていたころ、一回のカットとカラー、トリートメントで大体15000円くらい使っていた。それが髪のまとまりがあるおかげで、凝った髪型にする必要もなく「カリスマ」美容師の出番はなくなった。髪は1000円カットで十分。15000円あったら15回も行ける試算!どうやら私が受けた恩恵は「水」だけではなさそうだ。

 

ちなみに秋田県は人口に対する美容院の件数が全国一位である。どこまで美に貪欲なひとたちなのか。

 

せっかくだから温泉へ行こう

田沢湖まで1時間半かけて遠出し、モーグル観戦で冷え切った体に温泉へ行くこととした。

 

雪見風呂で有名な乳頭温泉郷と水沢温泉郷が目と鼻の先にある。

中でも乳頭温泉郷の秘湯「鶴の湯」は有名で季節問わず、全国各地からお客さんが集まる。今回は水沢温泉郷にある「鶴の湯」の姉妹館「駒ケ岳温泉」を訪れた。

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田沢湖スキー場から車で5~6分の距離にあり、少し奥まった場所に宿を構える。宿泊はもちろんのこと日帰り入浴も500円で可能。名湯ながらお財布にやさしい。

数年前に改装され、古民家風の造りにリニューアルした。内風呂と露天一つずつと、貸切風呂が存在する。十割そばが名物としてあるが、「いつもスキーの帰りに立ち寄ると営業時間が終わっていていまだにありつけていない」と叔父は語る。今回の訪問も15時を過ぎていたため、おあずけ。まぼろしの十割そばとなった。

 

内風呂の温度は少し高めに感じたものの、白く濁っておりまろやか。

露天風呂からや川と雪景色を一望でき、ゆったりと足を伸ばしてはいることができた。

湯の温度は露天風呂の方が内風呂より少し低めに感じたが、それはおそらく気温が0度を下回っていたからだろうか。底は温泉の成分で滑りやすくなっているので要注意である。雪山からはサルやタヌキでも出てきそうな風情がある。

 

一人で入っていたところ地元のおばあちゃんに話しかけられた。

ワールドカップを観戦した帰りに初めて寄ったことを伝えると「わーるどがっぷねぇ」と伝わっているのかいないのか、不安な返事が返ってきた。

 

帰りに田沢湖で有名なお菓子屋さん「山のはちみつ屋」で名物のシュークリームをいただく。厚めの生地とまろやかなでほのかに甘いクリームの相性は抜群。お風呂上がりのスイーツは最高。

ここではちみつはもちろんの事、ジャムやジュース、化粧品にケーキやカステラまで幅広く取り扱っている。同じ敷地内にはピザ屋工房まで構え、自慢の石窯で焼いたはちみつ漬けポークを乗せたピザは絶品だという。

 初めての駒ケ岳温泉は湯冷めしにくく、家につくまで「ポカポカ」が続いた。

 

モーグルW杯~秋田たざわ湖大会~

「あー、モーグルね。こぶの上を滑ってきて、途中飛ぶやつでしょ?」

 

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まるで競技をなめているとしか思えない程度の知識しかなかった私たちだったが、スピード感とその迫力に圧倒され、食い入るように選手を見つめた。

 

2月27日、28日と秋田県たざわ湖スキー場にてモーグルW杯が開催されている。初日だった昨日、ミーハーな夫と私は「ワールドカップ!」という言葉に惹かれ、叔父引率の元たざわ湖スキー場へと向かった。

 

先週続いた雨の影響が懸念されたが、心配をよそにコースをきれいなこぶが並ぶ。練習の合間に大会スタッフと迷彩柄のウェアを来た自衛隊がコースの整備にあたり、選手たちを待ち構える。スピーカーからガンガン響く音楽に観客のムードも最高潮。

観客席はコースのすぐ横に設けられ、手を伸ばせば届きそうな距離を滑って行く。大迫力で観戦。しかも無料。なんとお得!

 

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モーグルの得点は3要素で決まる。

ターン 60点、エア 20点、スピード 20点のトータル100満点。

全く無知な私はてっきりタイムばかりが大事だと思い、「どうしてさっきの選手の方が早かったのに今の選手の方が上位なのか」という疑問があったが、なるほどガッテンした。

ありがとう大会パンフレット。

 

予選が行われ、上位16位が決勝進出。その中でさらに6位以内に入った選手でスーパーファイナルが行われる。全長約320メートルのコースをたった20~30秒で降りてくるものだからすごいスピードである。おまけに男子となるとスピードはもちろんだが、エアの飛距離と高さが格段に違う。すごい選手となると空中をスローモーションで飛んでいるように感じる。それに、それまでの得点は引っ張らないから、いつでも本気の一本勝負。優勝候補と言われた選手が少し大勢を崩して敗退した時は、勝負の世界の厳しさを感じた。

 日本人選手の表彰台はなかったものの、男子で4位と大健闘。

それまで、その選手の名前すら知らなかったのに、決勝で彼の滑る姿を見ながら手のひら合わせて祈っている自分がいた。どうやらにわかファンでは終わらなそうだ。

 食堂に行くとさっきまで真剣勝負を繰り広げられた選手たちが、談笑しながら食事をとっていた。外国人選手たちがすするラーメン。

 いろんな意味で世界の超一流を間近で感じられる大会だった。

 

 

となりのにんじん

あったはずのにんじんが無い。

冷蔵庫をくまなく探してもやっぱりない。

意を決してばあちゃんは言う

「となりの○○さんにかりてくる!」

華麗に割烹着を脱ぎ捨て、軽やかな足取りで外へ。ものの数分後、無事ににんじんをゲットして帰ってきた。

翌日、スーパーでにんじんを仕入れ、主へお届けする。

任務完了。

 

都会でにんじんが無かった時の対処法は2つ。

  1. コンビニへ走る
  2. 潔くあきらめ、代替メニューを考える。

 

しかし、この集落には徒歩圏内にコンビニは無く、みな、あきらめが悪い。

 

そして何より、ここでは助け合いの文化が健在だ。

わが家のお隣さんは早くにご家族を亡くし、雪深いこの地域に女手一人生活をしている。そのため、雪かきもままならない。わが家かそのさらにお隣さんが除雪機を出動させ、一役買っている。だから、にんじんの一本や二本くらい容易い御用とすぐに貸してくれる。

 

去年のお米の収穫期に叔父がアキレス腱を負傷。

コンバイン(稲を刈る機械)を動かせる人がおらず、大騒ぎに。

そんな中ご近所さんが代役を買って出てくれた。ただでさえ収穫の最盛期で自分の稲を刈るだけでも手一杯。田んぼ一枚刈るには天候と稲の乾き具合にもよるが、だいたい3~4時間くらいだろうか。それに一枚だけではない。何十枚もある。来る日も来る日も貴重な時間を割いてくれた。後から聞いた話によると、何年か前にご近所さんは足を骨折し、コンバインを運転できなくなってしまった。そこで、うちの叔父が代わりに田んぼを刈ったことがあったという。今回はそのお返しとでも言ったところだろうか。

 

ここでも「となりのにんじん」が一役買ったようだ。

 

 

 

サラリーマンからの転身

「よいしょ、よいしょ」

じいちゃんにならって雪かきしているわが夫。

スイスイと雪の中をかき分け、次々と軽やかに雪を投げて行くじいちゃんに比べ、夫の作業効率は半分以下。おまけに雪にすっぽりハマリ、救助にじいちゃんの手を煩わせる始末。

夫が農家をやりたいと言い出した時、耳を疑った。阿佐ヶ谷のこじゃれた居酒屋のカウンターで決意表明をされた時、慎重すぎる夫が考えに考え抜いた結果だと思い、ただ、ただ、うなずくしかなかった。

横須賀育ちの夫の身近に大根やスイカなどで有名な三浦半島があったものの、サラリーマン家庭に生まれ、農業とは無縁の生活を送っていた。

社会人になってから「美味しんぼ」にはまり、一緒に生活を始めたころ新居に段ボール何箱分の美味しんぼ持ち込まれた時は驚いた。ただのグルメ漫画ではなく、その料理や食材の背景まで、実際の取材に基づいて書かれている。また、地域の郷土特集ではちょっとした旅行気分も味わえる。だからただの「漫画」ではなく、彼にとっての愛読書。「美味しいものを探すヒントになる」と語る。

初めてのデートは山梨でぶどう狩りとウィスキー工場見学。京都ではおばんざい、静岡では生しらす。遠出できないときはスーパーめぐりをし、販売しているものや値段の違いを観察することが多かった。ただ、これだけ食に対する思いが強い割には、肉を焼けば焦がすし、スープを作れば生臭い。一度彼の手料理を食べ、数日嘔吐と下痢に襲われて以来、キッチン出入り禁止にした。

初めて秋田を訪れ、自家製のお米を食べた時、そのもっちりとした食感と、かみしめた時のほのかな甘みに感動。自慢のスイカも真っ赤に熟し、みずみずしい。滝のように滴り落ちる果汁。そして一つ一つ粒が大きく、うまみが凝縮された枝豆。

東京に帰ってからもその美味しさを忘れられず、この味を守りそしてより良いものにしていきたいと決心。都内で開催された農業人フェアで確信。勢いそのまま、地域で募集していた農業研修に応募し、合格。そんなこんなで今年の4月から晴れて地域で主催している農業研修生となることが決まった。

ところが、2月は真冬。しかもかまくらで有名な豪雪地帯。冷え性の彼には寒さが堪える上、慣れない雪かきにあくせく。雪をかけばスポリとハマリ、ばあちゃんに爆笑される。早くも現実の厳しさの洗礼を受けている夫であった。