coalamogu

~農家一年生とゆかいな仲間たち~

言葉の壁

学生時代、一年間トルコはイスタンブールへ留学した。

ヨーロッパとアジアの架け橋となるこの地域は昔から交易の重要な地点として栄えていた。「イスタンブール」と一言でいえども、ヨーロッパとアジア側で二分されており、二つの大陸を一つの都市がまたぐのは世界中どこを探してもここだけ。たくさんの船を行き交うエミノニュ広場からの眺めは今でも懐かしい。

大学での公用語は英語。しかし、実生活となるとトルコ人のほとんどが英語を話せない。トルコ語を話せないと買い物はおろか、食事に移動と生活がままならない。つまりは生活にはトルコ語が絶対条件。エキゾチックで日本とはだいぶかけ離れたイメージを持つかもしれないが、偶然にもトルコ語と日本語の文法はよく似ている。よく韓国語を学ぶ人が文法が似ているから覚えやすいというように、トルコ語は日本人にとってとても分かりやすい言語である。日本でも小学校から始めれば大学卒業までにはネイティブ並みに読み書き、話せることは間違いない。しかし、いくら覚えやすいと言えども、慣れるまではあれこれとつまづいた。ついでに寮のルームメイトはトルコ人3人。人知れず、部屋でトルコ語の勉強に励んだものだった。

そして、12年ぶりに言葉の壁が大きく、私の前に立ちはだかった。

 

秋田弁である。

 

一般的に東北地方は寒さのせいではボソボソと話すことが俗説とされている。しかし一説によると、どうやらそうではなさそうだ。東北地方は典型的な農村型社会。つまり、小さなコミュニティでいつも決まった相手としか話さないためはっきりと話す必要が無く、短い言葉で相手に伝わる。これにより、その地域独自に言葉の合理化が進んだとのこと。要するに、ツーと言えばカーと返ってくるような社会なのである。

あまりはっきりと話さない上、局地的に進んだ合理化により言葉一つ一つが短い。

たとえば、「け」

「け」「食べて」

「け」「かゆい」

「け」「おいで」

ついで、「ね」

「ね」「無い」

「ねね」「無いね」

「ねれ」「寝なさい」

「ねれね」「眠れない」

どの意味を持つかは音だけでは判断しにくいため、文脈から汲み取るしかないのだ。

しっかりとリスニングし、身振り手振りを交える。コミュニケーションの基本。秋田弁に精通しているネイティブが4人ルームメイトが心強い味方。そして、幸いにも、標準語ネイティブの私にとって秋田弁は文法が似ているので、語彙だけ増やしていければなんとかなりそうだ。